越中瀬戸焼かなくれ会についてAbout Etchu Seto Ware - Kanakurekai
越中瀬戸焼の歴史
越中瀬戸焼は富山県中新川郡立山町上末、瀬戸地内で焼かれる、430年以上の歴史を有する陶芸です。
古くは、「末庄」と呼ばれた土地は陶土と燃料の木材に恵まれ、千年前の平安時代初期から、須恵器の生産地であった北陸の古窯地です。
安土桃山時代になり、天正、文禄年間、前田氏の保護を受けた、尾張の瀬戸焼き陶工たちが、大窯や登窯を築いて施釉陶器を焼いたことに、越中の瀬戸焼が始まります。
江戸時代では、加賀藩の保護の下、瀬戸村では20基以上の登窯が築かれると共に全戸が小型の窯を持ち、村民あげて半農半陶で300年間窯煙を上げ続け、越中を代表する窯場となりました。
初期の灰釉に、黒茶の鉄釉、藁灰釉、銅緑釉等が加わり、多彩な釉薬を用いて日常の器から茶道具まで、様々な焼きものが作られてきました。
しかし、明治時代を迎えた頃から、全国的な磁器製品の生産と流通が盛んとなる中で、屋根瓦製造へと事業転換が始まり、陶器の生産が僅少してしまいました。これを憂いた地元有志は、昭和時代に入り越中瀬戸焼本来の陶器作りの復興を計り、再興を果たしました。
現在は、5窯元に研修生だった2人が作家として加わり、個性豊かな作り手で「今を継ぐ新たな越中瀬戸焼」を目指して作陶に励んでいます。
越中瀬戸焼の土
立山山麓の新瀬戸地域では、やきもの作りに適した良質な陶土が豊富に産出されます。赤茶、黄、青、白と、多種多様な粘土層が見られるところに、幅広い作行きの越中瀬戸焼の特徴があります。
越中瀬戸焼の窯
やきものは、時代が進むにつれて製作工程の分業化と機械化の導入が進んだ産業です。その中にあって、越中瀬戸焼では今も各陶芸家が自ら土を掘り、成形し、窯焚きを一貫して行なっている窯場です。
電気窯・ガス窯が多くなる現代の陶芸において、登り窯、穴窯、いってこい窯など伝統的な薪窯が活躍しています。
かなくれ会の活動
「かなくれ」とは、土地の言葉で「陶片」のことを指します。村周辺に打ち捨てられた古の陶片も先人たちの知恵と参考に、立山の土、富山の風土を知り郷土に根ざした陶芸のあり方を考えようと、2011年5人の陶芸家で発足しました。
2013年富山県指定伝統工芸品の第1号に選定され、また立山町特産ブランド品に選ばれた事を期に、県内外、国内外で積極的な作品発表を行い、陶芸を通じて富山、立山の魅力を発信しています。
そして、かなくれ陶芸展や茶会、文化シンポジウムなど質の高い里山文化の発信に努め、陶農館を拠点に活動しています。
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